Q&A集
Q&Aについて
ミネラルウォーター市場は平成元年(1989年)から平成29年(2017年)までの29年間で30倍あまりに拡大しており、今やミネラルウォーターは生活必需品となりつつあります。また、昨今では、保存水の需要も増えてきています。一般家庭への浸透に伴い、ミネラルウォーターに関する様々なご質問が各方面から寄せられております。
そこで、これらのご質問の中から頻度が高くまた基本的な事項を選び、一般的なミネラルウォーターについて解説いたしました。
Q&A
Q-6)ミネラルウォーターが日本で造られるようになったのはいつ頃からですか。 |
A1)日本のミネラルウォーターは明治中期が夜明け
日本のミネラルウォーターの歴史を辿ると明治時代の中期がその夜明けといえるでしょう。
1880年代にスパークリングミネラルウォーター(天然炭酸鑛泉水)が瓶詰めされ、横浜・神戸の居留地の外国人やホテルに提供されていたようです。
文献によりますと、明治19年(1886)には三ツ矢平野水(川西市平野)が「三ツ矢印平野水は天然炭酸水を含める東洋唯一の純良鑛泉なり」とラベルに銘記し瓶詰・販売されていました。また、明治23年(1890)にはクリフォード・ウィルキンソン炭酸鑛泉水(西宮市生瀬)が販売されていました。布引、有馬、宝塚、平野と続く六甲山麓の花崗岩層から湧出する鑛泉水には炭酸ガスを含有するもの以外に、炭酸ガスを含んでいないものもありました。
A2)ホテル用の時代
昭和4年(1929)に堀内(株)が「富士ミネラルウォーター(山梨県下部町)」を瓶詰・発売しております。メジャーなホテル用として開発されたようですが、その陰には帝国ホテルの犬丸会長の尽力があったと言われております。
A3)業務用全盛の時代
戦後の昭和42年頃(1967)からウィスキーの水割りが流行り、一世を風靡いたしました。そして、業務用ミネラルウォーターの消費が増え、ニッカウヰスキー(株)、日本鉱泉飲料(株)、サントリー(株)などが次々にミネラルウォーターを商品化して行くようになりました。この当時はテーブル容器としてのガラス瓶入りが主流でした。
A4)家庭への浸透
昭和58年(1983)にハウス食品(株)がカレー用のチェイサーとして「六甲のおいしい水」を発売いたしました。これが家庭用ミネラルウォーターの先駆けとなりました。
当初は穏やかな伸びでしたが平成元年から平成2年にかけて大手食品会社のサントリー(株)、キリンビバレッジ(株)が家庭用に進出してから、ミネラルウォーター市場は大きく膨らみ、その後も順調に市場を伸ばし現在に至っております。
日本のミネラルウォーターの歴史を辿ると明治時代の中期がその夜明けといえるでしょう。
1880年代にスパークリングミネラルウォーター(天然炭酸鑛泉水)が瓶詰めされ、横浜・神戸の居留地の外国人やホテルに提供されていたようです。
文献によりますと、明治19年(1886)には三ツ矢平野水(川西市平野)が「三ツ矢印平野水は天然炭酸水を含める東洋唯一の純良鑛泉なり」とラベルに銘記し瓶詰・販売されていました。また、明治23年(1890)にはクリフォード・ウィルキンソン炭酸鑛泉水(西宮市生瀬)が販売されていました。布引、有馬、宝塚、平野と続く六甲山麓の花崗岩層から湧出する鑛泉水には炭酸ガスを含有するもの以外に、炭酸ガスを含んでいないものもありました。
A2)ホテル用の時代
昭和4年(1929)に堀内(株)が「富士ミネラルウォーター(山梨県下部町)」を瓶詰・発売しております。メジャーなホテル用として開発されたようですが、その陰には帝国ホテルの犬丸会長の尽力があったと言われております。
A3)業務用全盛の時代
戦後の昭和42年頃(1967)からウィスキーの水割りが流行り、一世を風靡いたしました。そして、業務用ミネラルウォーターの消費が増え、ニッカウヰスキー(株)、日本鉱泉飲料(株)、サントリー(株)などが次々にミネラルウォーターを商品化して行くようになりました。この当時はテーブル容器としてのガラス瓶入りが主流でした。
A4)家庭への浸透
昭和58年(1983)にハウス食品(株)がカレー用のチェイサーとして「六甲のおいしい水」を発売いたしました。これが家庭用ミネラルウォーターの先駆けとなりました。
当初は穏やかな伸びでしたが平成元年から平成2年にかけて大手食品会社のサントリー(株)、キリンビバレッジ(株)が家庭用に進出してから、ミネラルウォーター市場は大きく膨らみ、その後も順調に市場を伸ばし現在に至っております。